【自分語り読書感想文】三千円の使いかた

私は子供の頃からずっと、お金のことばかり考えて生きてきました。

自分で一人前に稼げるようになるまでは……

親の世話になっている間は……自由はない。

「自由と責任はセットである」

子としての私が、母の教育の中で受け取った最重要キーワードは「自己責任」と「自立」でした。

 

note(ノート)

私はお金が大好きです。お金のことを考えるのも大好きです。 40年を超える人生の中で、きっと人よりもかなり多くの時間を、…

 

新聞広告で『三千円の使いかた』という話題作を目にし、読んでみたいと思いました。

この本は、お金の実用書ではなく、御厨みくりや家 四人の女性の、お金にまつわる葛藤を描いた小説。

主人公  美帆(24歳 貯金30万円)
姉  真帆(29歳 貯金600万円)
母  智子(55歳 貯金100万円弱)
祖母  琴子(73歳 貯金1000万円)

お金は私たちの人生、日々の生活に密接に関わるものですから、どの年代であっても、何かしら考えて不安になったり問題が起きたりしますよね。

四人それぞれのエピソードが描かれているので、幅広い世代の読者に響き、読んだ人が自分に当てはめてお金について考えられるキッカケとなる本だと思いました。

 

 

私が登場人物の中でもっとも身近に感じたのは、家計管理が得意で資産運用に積極的な子育て中の姉 真帆。

物語の中で語る真帆のお金の話は、誰もが知っている王道と言える資産形成術。

1000万円を貯めた祖母 琴子の話も納得できるものが多い。

「それができないから困ってるんだよ」と多くの人が感じる地道な方法こそが、やっぱりお金については大切だと、私も思っています。

 

 

真帆の考えに共感する部分もありましたが、「これはちょっとね」と思うひっかかりも見つけました。

日々節約を頑張る真帆は、実家や祖母の家に週一の頻度で出向き、毎回親子でご飯をご馳走になり、母や祖母がまとめ買いした果物やお中元の品、買っておいた新品のタオルなど「これもちょうだい!」と様々なものに目を付け持ち帰ります。

夫の晩御飯のおかずもしっかりもらっていくし、冷蔵庫の中の作り置きのおかずも見逃さない。

「こんなこと私にはできない」と、いくら節約と言ってもモヤモヤを感じひっかかる。

子供の頃から「自立」を叩き込まれた私には、こうした行動にはどうしても一瞬拒否反応が出てしまうんです。

でもこの「ひっかかり」が、自分の奥底に眠る気持ちを引き出すチャンス。

モヤモヤを見つけたら「真帆は本当に”間違ってる”の? 私の考えは本当に”正しい”の?」と考える。

 

 

真帆の行動に「否!」を唱える私ですが、でも現実は、私も両親にはしっかり甘えさせてもらっているんです。

私は自ら「これちょうだい!」とは言いませんが、両親と会うときはほとんど食事をご馳走になっています。

両親もそれを前提で「今週遊びにおいで~。ランチたべよー」と声をかけてくれるからです。

親に甘えることは「悪」ではないが、それを自ら「ちょうだい」と図々しくいうのは「悪」だという、なんとも中途半端な正義感です。

でもお金に関わらず、いろんなところで「ここまではいいけどさ」という中途半端な正義感?図々しさ?を、誰もが持っていると思います。

そして、その「ここまではいいけどさ」は、人によって差がありますよね。

 

本を読み進めながら、もしも真帆が自分の姉だった場合、私はかなりのモヤモヤを感じるだろうことに気づきました。

それはなぜか?

「私は自力で頑張って節約してお金を貯めている。なのにお姉ちゃんだけ親に色々もらって甘えてばかりでズルい!」

自分は「ちょうだい」とは言えない、言いたいともあまり思わない。けど!もらえるもんなら本当は私だって欲しい。だからそれを言える真帆が羨ましい(?)

と、心の底では思っている。

文字にして書くのはとても恥ずかしい話ですが、これが正直な、私の「モヤモヤ」の正体です。

 

 

私はこんなことで「モヤモヤ」を感じているわけですが、この私の「モヤモヤ」にモヤモヤを感じる人はきっとたくさんいると思います。

「年金暮らしの親にご馳走させるなんてありえない!」

「いい年して親からもらうことしか考えてないのか!」

「あなたこそ図々しいよ。全然自立してると言えない」

「なんかあさましい」

そう感じる方は、この記事を読んでくださった中で何割かはいらっしゃるだろうと思います。

が、ここでは私たち家族の親子関係や、そう考えるに至るすべての背景を説明できません。

そして、私の考える中途半端な「正しさ」を、異を唱える方に対し、「わからせたい」という気持ちもありません。

真帆の行動にモヤモヤを感じる私がいる。

そんな私の考え方にもモヤモヤを感じる人がきっといる。

真帆の母と祖母は、娘や孫が顔を出してくれることを喜び、真帆親子のことを密かに「ちびっ子ギャング」と呼んで微笑ましく見守り応援している。

私の父も、株主優待を使って孫に好きなものを好きなだけ食べさせてあげられることをいつも喜んでいる。

真帆の行動は「間違っている」のではなく、「ここまではいいけどさ」の判断基準が、私とはちょっと「違う」だけでした。

 

 




 

 

この本には、社会問題のひとつである「奨学金」についても触れられています。

ここから少しだけネタバレします。

主人公 美帆の彼 翔平は、奨学金550万円を借りている。その返済額は利息を合わせると700万円にもなる。

しかもその奨学金について翔平は何も聞かされておらず、お金に無頓着な翔平の親が勝手に契約したものだった。

翔平は両親のいいかげんな部分に気づきながらも「でもそんなに悪い人たちじゃないんだ」と、自分の家族を大切に思っている。

知らされてなかった奨学金とはいえ、確かに自分が大学で学ぶために使ったお金だ、と、ショックを受けながらもその現状を受け入れている。

自分が美帆ならどうする? 翔平ならどうする?

美帆の母 智子だったら、何と言葉をかける?

翔平の親に対するモヤモヤの正体は何か?

考えることがいっぱいです(笑)

 

 

自分たちが返していくのだということは、もう翔平に聞かずともわかったことなのだ。

「だから、あとは、そういうことじゃなくて、他人のことを期待するんじゃなくて、私やあなたがこれをどうするか、納得できる方法を考えていくしかない。事態は変わらないのだから、自分を納得させるしかない、たぶん」

そうなのだ。最後は自分なのだ。自分が自分に、自分の人生に、五百五十万円の借金を組み込むこと。

(翔平とLINE通話中の美帆の言葉)

 

お金と幸せをセットで考える場合、万人に共通する正解はないと思っています。

美帆の言う通り、自分の正解を決められるのは自分しかいない。

美帆と家族が出した結論は、ぜひ本で♬

 

 

最後に……

奨学金問題について、私自身が考える価値観を以前綴ったことがあります。

 

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大学費用は親が出すのが当たり前なのか?

これは本当に人によって価値観がわかれることであり、価値観以前に現実問題として、ない袖は振れないということもある。

そしてそこに結婚が絡むと家族も不安にさせる大きな問題となり、関係者の誰もが納得する「正解」を導きだすのはなかなか難しいと思います。

この記事は、私のブログの中で2番目に多く読まれている記事であり、そのほとんどが検索流入です。

 

「大学費用 ない」

「大学費用 親が出さない」

「大学費用 親が出すのが当たり前」

 

などの検索ワードで、最近は入ってきていました。

たくさんの人に読んでもらえているこの記事ですが、Googleの掲載順位はけして上の方ではありません。

検索の目的は多くの人にとって「問題解決」のため、通常は1ページ目に掲載されなければなかなか読まれません。

が、この奨学金問題については、最初の1記事ではなかなか問題解決できず、「自分の納得する道」を探すため、もしくは「答えは決まっているけど、決断を後押しする言葉が欲しい」と何かしらのヒントを求め、ページをスクロールしながら順位の低い記事まで読まれているのだと思います。

 

 

『三千円の使いかた』

お金についてもっとちゃんと考えたい、考えなきゃと思っているけれど、なかなかうまく考えられない。何を考えていいかわからない。

そんな方におススメの本だと私は感じました。

お金を増やすための実用書ではありませんが、あるある感満載の3世代女性のお金にまつわる葛藤は、多くの人に自分の生き方、それにまつわるお金について考えるキッカケを与えてくれるものだと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

(追記 約1500字)

真帆のくだりについて、自分の文章に違和感がありまくり、何度も推敲しながらずっとずっと考えていました。

その結論をここに書き残します。ここから1500字ありますから、興味ある方のみ読み進めてください。

 

自分は「ちょうだい」とは言えない、言いたいともあまり思わない。けど!もらえるもんなら本当は私だって欲しい。だからそれを言える真帆が羨ましい(?)

 

これがどうしても自分の中でしっくりこない。

いや、他の言葉も全部しっくりこない。

何かが違う。でもこれ以上の言語化ができない。

 

子供の頃から「自立」を叩き込まれた私には、こうした行動にはどうしても一瞬拒否反応が出てしまうんです。

 

自分で書いていて吐き気がする。でも他の言葉が浮かばない。

じゃあ消せばいいのに、なぜか消すことができない。

本当の本当の私の気持ちが全然掴めていない、言語化できていない、「まだほかに何かある」

ずっと考えていました。

そして見つけました。

上の言葉に吐き気がするのは、自分の言葉に「どの面下げて、そんな言葉書いてんの?」と感じていたからです。

私と真帆は、私にとって、完全に「同じ穴のムジナ」だったから。

 

親に甘えることは「悪」ではないが、それを自ら「ちょうだい」と図々しくいうのは「悪」だという、なんとも中途半端な正義感です。

 

これは、私が作り出した言い訳です。

でも、頭では本気でそう思っていました。

正確にいうとそう思うことで、私は親に甘えている自分を何とか正当化したかったのだと思います。

自立自立と言われて育った私は、「ここまではいいけどさ」なんて境界線なんてなく、親に甘えることについて、親から何かしらの援助を受けることについて、本当は完全に「悪」だと思っていたんです。

そんな思い込みを持つ私に対し、家を出て「自立」したころから、子供の頃は必要な物以外買い与えてくれなかった母が、色々と食材をくれたり優しく支援してくれるようになったのです。

それは、今も父がランチをご馳走してくれたりすることと同じことです。

でも私は、それをどう受け止めていいのかわからなかったんだと思います。

だって、そうした支援を受けることは、親から自立することを最重要視する私にとって、完全に「悪」なのです。

でも、「お金が欲しい、お金をもっと貯めたい」と強く思っていた私は、親から与えられるモノの誘惑に勝てなかった。

そしてそれをいつしか期待するようになった図々しい自分を、多分許せなかったのだと思います。

私はその罪悪感から自分を守るために、「自分から欲しいと言ったわけじゃない。これは親が勝手にくれたもの」という「ここまではいいけどさ」という言い訳を作り出し、親から支援してもらうことを正当化した。

 

真帆は、私の作った境界線をいとも簡単に超えて、堂々と親や祖母に甘えていました。

「ちょうだい」と言える真帆ではなく、何の罪悪感も持たずに家族に甘えられる真帆が、私は心底羨ましかったのだと気づく事ができました。

でもそんな今でも、私はまた真帆をジャッジしている。

「私の両親はお金に困ってないからいいけれど、真帆の家族は将来に不安がある。そんな家族に甘えるなんて許されない」

真帆を悪者にすることで、「うちの親はゆとりがあるから甘えてもいいんだ」と、妙な言い訳をして、私はまた自分の行動を正当化しようとしている。

そんな言い訳をしないと、私はまだ親の優しさを罪悪感なしに受け取れない。

 

親に甘えることは、そんなに悪いことなのか?

「親をあてにする大人になってはいけない。しっかりと自立した大人になりなさい。」

もう母はこんなことをわざわざ言わない。

いまはトコトン甘えさせてくれる両親が目の前にいて、私は罪悪感を感じずにその愛情を受け取りたい。

そして両親が困った時には、今度は私が助けたい。

「大人になっても、親に甘えていい」

すでに甘えているけれど、言い訳なしで堂々とソレを受け取れる自分になりたい。

 

 

 

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この記事は、SNS「note」に投稿した過去記事を加筆修正し改めて投稿したものです。

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40代、小学生の子を持つ主婦ミイコです。貯金と投資が大好き❤️40代で住宅ローン完済&1000万円貯金を2度達成…

 

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