こんにちは。
今日もご訪問いただき、ありがとうございます。
お金・モノへの執着が激しくて、損得勘定が激しかった昔の私。
今も完全にそこから抜け出したわけではありません。
それでも、昔の私と今の私とでは完全にウィズコロナ時代の生き方・考え方が異なります。
昔の私だったら、いまどんなことを思いどんな言葉を口にしていたか。
ちょっと想像して書いてみたいと思います。
昔の私はウィズコロナどう過ごしてた?
まず我が家のお金面ですが、現時点で正社員の夫の給料は今までと変わらずいただけています。
ただ、夫の会社はコロナ自粛での影響を受ける業種に当たります。
業績悪化は著しくボーナスの激減・今後の会社がどんなことになるか・・・とても不安定な状態です。
こんにちは。今日もご訪問いただき、ありがとうございます。 夫の会社がコロナの影響が思ったより深刻で、危機的状況にあるかもしれないです。「倒産まではいかなくても、ボーナスゼロは十分あり得るけど大丈夫?[…]
現時点では普通に給料が支払われ、特に生活に困ることはありませんが、我が家の家計も会社と同様にこの先が不安だという状態です。
昔の私はこの状態を「自分は被害者だ!かわいそうな人間だ!」と感じたと思います。
でも今の私は、「自分はまだ恵まれている」と思っています。
だって、もっともっと苦しい状況にいる方はたくさんみえますよね。
我が家も今後はどうなるかわからないけど、給料がいただけている現時点では自分は「マシ」な方だと思っています。
だけど昔の私には、知らない他人のことよりも自分のかわいそうな状態しか見えなかったと思います。
ちょっと前まで本当に困ってる方への救済措置で30万円支給という政策が出てましたが、「そんな政策はクソだ!」と怒りくるっていたと思います。
・うちだって困ってるんだよ!!
・これから収入減るのに食費だって増えて苦しいんだよ!!
・うちだって税金払ってるのに不公平だろ!!
・マスクなんていらねーから、さっさと金出せよ!
昔の私なら、間違いなくこんな言葉を吐いていたと思います。
と言っても、今は誰にも会えませんから、夫に毎日毎日そんな愚痴をつぶやいていたことでしょう。
それらを子供たちが毎日耳にしていたら・・・。
どう思うのかちょっと怖いですね。
でも昔の私はきっと自分の不安・被害者意識で心がいっぱいいっぱいで、その言葉が子供の心にどう影響するのか、考えることすらできなかったと思います。
夫だって、今後の仕事について前向きに考え一生懸命もがいているのに、毎日私のそんな愚痴を聞かされてはたまったもんじゃないでしょうね。
でも昔の私はそんな自分の言葉は愚痴ではなく、完全に正論だと思っていました。
それが昔の私です。
自分に起こる不幸は人のせい・環境のせい
昔の私は、自分に起こる不幸は全部人のせい・環境のせいだと思っていました。
今の状態なら・・・・そうです。
全部、国・政府・安倍首相のせいなのです。
・高いカネもらってんだろ!もっと仕事しろよ!
・仕事失ってる人もいるんだからお前らも給料ゼロにしろよ!
安倍首相がウィルスを振りまいたわけでもないのに、全部国のせいにして文句ばかり言っていた。
そしてどんな政策を出したとしても、それが自分に利益のない・自分に関係のない政策であれば、それを認めることはできず毎日毎日ブチブチと批判を繰り返していたでしょうね。
自分よりも困ってる人がいるなんて関係ない。
とにかく今は自分が”かわいそうな人”で被害者である。
だから私にもちゃんと色々と補償しろよ!という具合です。
書いてて恥ずかしくなってくるんですが、これが過去の私です。
そしてそれらの批判は、上にも書きましたが・・・「正論」だと思っていました(笑)
今の私は「痛み分け」が必要だと思っています。
すべての国民に、今まで同様の生活・お金を補償する力が日本には残っていないと思っています。
もしもそれを無理してやったとしても、それは結局未来の私たちや子ども達へのツケになる。
だから食費や光熱費が増えたとか、ボーナスが減るくらいの「マシ」な痛みはみんなで我慢するしかない。
職を失い、本当に生活に困っている人を助けなくてはいけない。
将来のツケを少しでも少なく、みんなで「痛み分け」をすること。
今の状況を、人や環境にせいにしていたら、そんなふうには思えません。
人や環境のせいにするということは、自分が幸せになるには「おまえが変わるべき!」と、人や環境に自分の人生を預けてしまっている状態です。
「生殺与奪の権を 他人に握らせるな!!」
子供達と読んでいるマンガ 鬼滅の刃のセリフのひとつです。
自分の人生や”幸せ”を他人任せにしてはいけません。
国のせいにして毎日文句を垂れ、国からの補償を待つだけでなく、
・今の自分には何ができるのか?
・なにかできることはないのか?
と、考えていくこと。
・本当に家計管理で無駄なものはないのか?
・あれもこれもと気づかずに贅沢している部分はないのか?
すべてを諦める必要はないけれど、どうしても外せない大事なことをしっかりと見極めてそこだけは守っていく。
「痛み分け」は誰もがそんな我慢を強いられることになりますが、こんな非常事態なので自分の利益のことだけ考えていられない。
過去の私を考えれば、いまそんなふうに思っていられる自分を自分で嬉しく思っています。
同じ状況でも「幸せ」は自分で決められる
これらはあくまで私個人の考えでそれが「正論」だとか、いい子ぶって自慢しているわけではありません。
ただ、いまこの場で言えるのは、過去の私と今の私の考え方・生き方で、どちらが不幸で幸せかといえば、間違いなく今の私が幸せだということです。
人によって考え方は違いますので、あくまで私はそう感じるということですよ。
昔の私よりも、今の私の考え方の方が私は好きです。
夫の会社が危ない、そしてこれからの将来に対する不安。
それらの条件は同じでも、過去の私はその不安を国のせいにして責任を押し付け、自分で何かを考えるということはできなかったと思います。
できるのはただ毎日、夫に国・世間に対する批判の感情をぶつけることだけ。
それをしたって実際何も変わりませんよね。
そしてますます「私ってこんなに被害を受けてかわいそう」って、一人で悲劇のヒロインになっていく。
「こんなにお金に不安でかわいそうな私を誰か助けてよ!」
「こんなんで老後は生きて行けるのか?」
もっともっと・・・どんどんどんどん不安になっていく。
今の私は、どんなことがあろうと「絶対に幸せになる」と決めています。
ボーナス減に備えること、そして夫の失業に備えるために、最低限の生活費を試算したりもしました。
こんにちは。今日もご訪問いただき、ありがとうございます。 もしも夫が失業したら、家計はどうなる?最悪の事態を考え、「最低限の毎月の生活費」を計算してみました。そんな中で感じる安心感と、主婦と[…]
それらは、必要以上に夫も私も不安になり過ぎないように「我が家は大丈夫だ」という安心感を得るためです。
その中で、「ボーナスはゼロだと覚悟する」と書いていますが、今の私はそんなことをまったく考えていません。
減るのは間違いないことだと思っているけれど「〇〇円でももらえてありがたい!!」と、いくらかでもボーナスをいただけることを想像しています♪
こんな世の中で2万円でも3万円でもいただけたら本当にありがたいことだ。
そんなふうに喜ぶ自分を今から妄想しています。
同じ状況の世界で生きていても、国への愚痴でいっぱいの毎日を生きるのか・・・。
今の自分にできる対策を考え、そして自分以上に苦しんでいる方にも思いを馳せ、そんな方たちをみんなで守っていきたいと考えていきていくのか。
今の我が家は金銭的な豊かさからは少し遠ざかっていくかもしれないけど、そんな中でもこうして人のことを考える余裕がある自分の成長を嬉しく思います。
そしてそこに・・・自画自賛で申し訳ないけれど、心の中に”豊かさ”を感じます。
私は昔の私より、今の私が大好きです。
全然完璧な人間ではないけれど、少しずつ成長した自分が今こんなときだからこそ感じられて、とてもうれしく思っています。
そして間違いなく、今の私の方が幸せです。
お金に執着する私がお金のことを学び、数年前からはお金持ちの習慣・成功法則を学び、「幸せになる生き方」を学んできました。
「幸せ」とは人から与えられるものではありません。
どれだけ幸せなことが起こったとしても、それを「幸せだ」と感じる心が無ければ幸せは得られません。
会社が苦しい中、社員のために絞り出してくれたボーナス2万円を「ありがたい」と受け取るのか。
「たった2万かよ!なんの足しにもならんだろ!」と受け取るのか。
同じ2万円でも、受け取る幸せは違ってきます。
幸せだと感じる心をもつこと。
そして「絶対に幸せになる」と自分で決めること。
たまに落ちこむこともあるけれど、この軸を忘れずに今後も幸せに生きていきたいと思っています。
こんにちは。今日もご訪問いただき、ありがとうございます。 昨日2月4日は、私の大好きな 故)竹田和平さんのお誕生日でした。すっかり忘れていたのですが、和平さんのお弟子さんである本田晃一さんのブログを[…]